2006.12.14.
カンボジア|シェムリアップ
コーケー&ベンメリア遺跡群
幻の遺跡コーケー。2年半前に訪れた時ははまだ道が舗装されていなく、両サイドにある地雷マークを尻目にバイクで駆け抜けるしか方法が無かった遺跡。後にバンコクで再開した友は言いました。「いやービビリましたよー、転んだらドカンでしょ」「番人みたいのがいてAK撃たせてくれました」「あ、その場で絞めたサル鍋も食いましたよ」と全く遺跡について触れていなかったのが、いささか気がかりですが非常に興味が沸いたのは確か。老舗のタケオゲストハウスに行ったら、道が舗装され車をチャーターすれば行けると張り紙を見た時は思わずマンセーと叫びました。
車のチャーター料金は$130で人数割り。マックス10人だったので車の中はぎゅうぎゅう詰め。助手席には2人座れるのですが、男2人だったため運転手よりに座った中村ちゃんはギアチェン毎に股間を触られてます。良かった窓側えらんで。
コーケー遺跡までは町から約100km。走る事3時間ついに到着。今までに見たクメール様式の遺跡とは違い、ピラミッド風の作り。どちらかと言うと中南米のマヤ文明の遺跡みたい。アンコールワットができる2世紀も前に作られたそうです。
10世紀中頃にアンコール王朝が一時的に遷都した時に建立されたものがコーケー遺跡。31ある寺院の中でもこのプラサート・トムが最大の見物。遺跡は登る事ができますがアホみたいな急坂です。登頂するとそこには守衛がいます。
頂上の中心部には井戸の様な穴があるので守衛に聞くと「10mの深さ」と。何を聞いても同じ答え。遺跡から降りるとガイドを発見。昔はリンガあったと。リンガとは当時の男性根の象徴のこと。にゃるほどね。他の寺院にもたくさんありました。
ちなみに運転手は英語も日本語も全く話せないので、すべての話は下で会ったガイドさんに聞きました。遺跡も回りをブラブラすると地雷マークがあるわあるわ。今でも普通に埋まっているそうです。なんせ数年前まで気軽に来れない所でしたから。
31ある寺院に全て行ったわけではないですが、5箇所くらいは行きましたかね。残念ながらメンバーの中には常識が逸脱している人が。象の遺跡に乗ってみたり、タバコの火を遺跡で消そうとしたり。ちょっぴり悲しくなりました。
そんなアフォな輩から遺跡を守るべく看守さんがいます。女の子もいるじゃないですか。噂に聞いていた右手にAKライフル、ランチのサル鍋とはかけ離れてますけど。笑顔の絶えない彼女を見ていると、カンボジアに負の時代があったのが嘘のよう。
レストランでの昼食タイム。村にはたくさんの子供や青年がいる反面、40代50代の人が少ない。本来であれば国を支えていく大事な世代のはず。しかし、ポルト時代に虐殺されてしまったのです。この子らには何の罪もないのに。
続いてベンメリア。ここは2度目の訪問。ポルポト政権時代に占領され、完全に廃墟と化したこの遺跡を周るのは大変。一応コースもあり順路みたな標識もあるのですが、登ったり降りたりしているうちに普通に迷います。
すると、どこからどもなく少女が。森の妖精達はこっちにおいでと手招きして、順路を教えてくれます。写真を撮り、無事に遺跡の外に出るとワンダラー攻撃が始まりました。どうやら妖精では無く追いはぎだったようです。
案内もしてくれたしと500リエル(20円)あげたら、札を奪うと何処かに走リ出す。すると仲間を引き連れワンダラー攻撃を再開。カメラを向けたら何故かピース。その後5分程ねばりお金はもらえないと察っすると、走って森の中へと消えていきました。