2007.01.18~19.
ラオス|ムアンンゴイ
陸の孤島ムアンンゴイ
ルアンパバーンのコールドリバー・ゲストハウスで、ウダウダと飲んだ暮れながら情報をノートを見ていたら、秘境ムアンンゴイ村という記事を発見。何でも川で隔たれおり、ボートでのみ行く事ができると。ルアンパバーン後はルアンナムターに直行し、2,3泊トレッキングツアーに参加しようと企んでいましたが、予定を大幅変更。やっぱり秘境でしょ。
宿の婿養子に聞いてみたら、「1時発を逃したら、ノンキャウ行きのバスはないよ。」と言うじゃありませんか。あわててチェックアウトして、北バスターミナルに着いたら時すでに遅し。無駄にルアンパバーンのもう1泊し、翌朝ノンキャウを目指す。
ラオス全土に渡り、ここ数年のインフレの影響で、各種ガイドブックによる運賃・宿代は2倍近い。それでも激安。バスの中はローカル率95%。秘境にも程があるので、ちょっぴり不安になってきた4時間後、ノンキャウに到着。素晴らしいほど何も無いよ。
ボート乗り場前にはチケット売り場が。ここで数名の欧米人を発見。ちょっとホッとする。ボートに乗り込み、乗客が満員になるのを待つ。一応の出発時間はあるみたいだけど、満員になり次第らしい。町の裏には大きな山もあり、なかなか景観だ。
最終的にローカル率は60%程。しかし、白人の情報収集はすごいなと思う。ロンプラ(白人が使うガイドブック)にも、少しの記載はあるらしいけど、ほとんど口コミなんだろうな。ボート内には鶏君も乗せていよいよ出発。
ボート走行中も一つのアトラクションみたい。川辺にはいくつかの村が点在し、彼らの生活が垣間見れる。お手伝いをする少年や、川遊びをする無邪気な子供達。昔の日本もきっとこんな感じだったのだろうか。
恥ずかしそうに手を振る子供たち。あーなんて無邪気なのでしょう。どす黒く濁った私の心が洗われていく様です。1時間後、ムアンンゴイ村に到着。鶏君は、すぐに子供に抱えられ、数分後に絞められた。こちらのキッズはタクマシス。
メインストリートに出て宿探し。おぉー予想以上に何もない。痺れます。今まで来たラオスの町は、確かに素朴で良かったけど、どこかに欧米化した臭いがあったけど。これは素朴なんてレベルじゃない。川沿いのゲストハウスを数軒あたってみた。
何処も1泊$1.5~2くらい。何とかリバービューの部屋を確保。町を散策すると村人の暮らしが見えてきた。夜8時、電気も終わり、真っ暗。ごめんなさい。僕、本当は都会育ちのもやしっ子です。秘境なんてサビシス。限界を超え、翌日の脱出を決意。
夜明けとともに目が覚める。誰でもいいからお話相手をと外へ。すると村人が一列に並んで、カオニャオ入れの籠を持っている。おぉ、托鉢だ。ルアンパバーンで見損ねたので調度いいや。しかしながら、見物人などは他にいない。しかも、婆さんはこっちを睨んでいる。普段だったら睨み返すが、人恋しいのでそんな御婆さんでもウェルカム。
確かに宗教儀式は見世物ではないし。気持ちは分かる。果敢にビデオ撮影をしたら、婆さんに砂をかけられた。このク○ババア。
朝メインストリート(と言っても道と呼べるのはココだけ)で、行列のできる屋台を発見。隣の子供は麺をすすりながら、おもむろにポッケからカオニャオを取り出し食べていた。もち米のおにぎりを、そのままポッケに入れるとは何とも大胆不敵。
朝9時、霧が晴れてきた。向こうの山を見てるとバンフみたい(今、住んでるカナダの町)。チューブ下りをしたバンビエンも、昔はこんな感じだったのだろうか。白人が入り過ぎて変わっていったんだろうなー。彼らは食に対してブレないからなー。パスタとかピザとか作るレストランが儲かりはじめて、単純な地元民は俺も俺もと同じ店を作る。ちと寂しくなった。
ボートでノンキャウに戻ると、スーパー過積載のトラックを発見。何かこういうの好きです。次のルアンナムター行きのバスを待つ間、辺りを散策。奥ではドキッおっさんだらけのカラオケ大会が実施されていた。平日、白昼堂々とビールを飲む大人達の姿。いつも思うが、アジアのおっさんはいつ仕事してるだろう。
秘境ムアンンゴイ。確かに人も少なく、静かで長閑で良い所でした。これが、旅の最初なら楽しかったかも。すでに終盤に差し掛かり、人恋しい時に行ったらあきまへん。寂しくて涙が出ます。と言うことで1泊だけでしたが、村から歩いて隣町に行くとまた良いらしいです。いつかリベンジしたい。そんな所です。今後、あまり発展し過ぎない事を祈ります。
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